初めての石巻慰問(より詳しい経緯)
大震災後の6月、液状化被害の大きかった浦安に住む倶楽部グリーU部長の縁で、同地の明海、高洲小学校で
「がんばろう!浦安コンサート」を開催。
コーディネートされた浦安の先生からボランティア活動をしている石巻の被災者を慰めるため歌ってほしいと
依頼され、私たちにできることをしようと出かけました。
総勢31人が新幹線、バスで、渡波(わたのは)、鹿妻(かづま)小学校と黄金浜会館の3か所を訪問しました。
行く途中、家が流された空き地が続き、わずかに残った家も1階は柱だけ、さらに鉄骨だけが残った工場群、
瓦礫の山、廃棄されて積み上げられた自動車など無残な光景に胸が痛みました。
二つの小学校は最もひどい被害地域にあり、会場の体育館では避難生活の方々の横で歌いました。
肉親や家をなくされ、この半年本当に苦しい生活をしいられている人たちの前でどう歌ったら良いのか、行く前
はいろいろ考えましたが、メンバーはいつも通り歌うしかない気持ちになりました。
黄金浜会館ではボランティアの人たちが徹夜で片づけ演奏会場をしつらえてくれました。大勢の来場があり、
中には二日間に歌った3会場全てに来られた方が何人もおられました。
「上を向いて歩こう」「北国の春」は、みなさんが楽しそうに聴き、歌い、笑ってくれました。一番受けたのは
「斎太郎節」。歌うだけではなく踊り出す人が出ました。(上のビデオのとおりです。)
後で浦安の先生から「人目を憚って泣くことも笑うことも抑えてきた被災者の方々が、音楽に触れたことにより、
押し込められていた思いが一気に噴き出しました。泣いたり笑ったり、歌ったり踊ったり手拍子をしたり、
精神的に解放された姿がありました。どんなにか楽しいひと時だったでしょう。
さらに、演奏終了後3か所の会場の参加者から(主催をした)地区長さんに感謝の電話が殺到した。」と嬉しい
知らせがありました。
なお、ハーバード大学クロコディロスとの演奏会で集まった義援金でお米を買い、来場の方々に贈り喜ばれました。
その後も幾つかのチャリティコンサートを行い、義援金をお届けしています。
3.11. 東日本大震災から半年後の 2011年9月 石巻にて歌う
悲惨な爪跡が残る石巻を浦安のボランティアのご縁で訪ねました。
歌っていいのだろうか?聴いて頂けるだろうか?
誰もがためらいながら歌いました。
すると、笑う人、涙を流す人、ご当地民謡に合わせ踊り出す人・・・。
来て良かった!と感動し 歌の力を改めて知りました。
それ以来、毎年これまでに4回、石巻を訪ねています。
多くのボランティアの方々のお陰です。
演奏会で義援金をお寄せくださった方々にも
この場をお借りして篤く感謝申し上げます。
2年目(2012.7月) 石巻、女川コンサート
2年目の訪問にはボランティア「心をつなごう浦安KS_渡波RO」と他のボランティアの方々の強力な応援もあり実現しました。
初日は黄金浜会館、前年同様盛り上がりました。
翌16日午前は鮎川小学校体育館。
開演10分前になってもお客様は10人位。校庭や近くにある仮設住宅と会場の体育館まで50mほどですが、心が開かず、足が前に出ないという厳しい話を聞き、ボランティアの方々が1戸1戸に西瓜とチラシを配り、みんなで歌おうと声をかけてくれ、およそ100人の方が集まり10分遅れで開演しました。最初はちょっと乗れなかったお客様も斎太郎節の頃にはみんな大声で歌ってくれました。
午後は女川町の仮設住宅集会場。狭い会場で立ち見のお客様が出ました。この日は仙台で32℃、暑い日でしたが私たちの熱気も負けてはいませんでした。
今回持参したのは、演奏会などでお寄せいただいた義援金による千葉富里産の西瓜400個と飲み物400本、童謡CD100枚、Tシャツ140枚を3会場でお配りして喜ばれました。ボランティアの方々がすべて手配してくれました。
宿泊した牡鹿半島のホテル(ようやく復旧)では 20人余のボランティアの方々と交流ができました。
鮎川町と女川町の海岸沿いも更地や土台だけの土地が目につきました。女川では鉄筋コンクリート3階建ての建物が横倒しになったまま何棟も転がっており津波の力に息を呑みました。
次のビデオはどなたかがNHKの復興ソング「花は咲く」を撮影しyoutubeに掲載してくれたものです。
3年目(2013.7月)
7月15日~16日、黄金浜会館、渡波公民館、鮎川小学校、万石浦中学校4カ所を訪問。鮎川小学校では保育園児の来場ハプニングもあり、どこでも温かい歓迎を受けました。ボランティアの方々からのおにぎりの差し入れ、宿舎での交流も嬉しいものでした。
前年まで見かけた瓦礫や廃棄自動車の山はほとんど無くなり、建物が増え活気が感じられ、被災の方々も明るい表情のように見受けました。
成田コンサート、山本健二チャリティコンサート、クロコディロスコンサートで集まった義援金合計75万円で千葉富里産の西瓜400個、飲み物750本、前記救護袋40個・校内合唱祭用DVD4本、箏曲用爪3本のお土産にしました。山本健二先輩(S31年卒)からいただいた童謡のCD26枚、チャリティで募集したTシャツ210枚も4会場で配布しました。ボランティアの方々に配布手配いただき、本当にありがとうございました。
4年目(2014.7月)
7月13~14日、渡波公民館、黄金浜公民館、万石浦小学校で歌う。渡波公民館では芸能祭のトップで出演、300人程の皆さんを前に区長さんから感謝状を頂く。私たちの活動を評価して頂けたのは嬉しいこと。万石浦小学校では1~3年生が真剣に聴いてくれた。上を向いて歩こうを知らないのに時代の差を感じた爺様たちでした。
4年間、同じ場所を訪問すると顔なじみができ、待ってくれています。ボランティア「心をつなごう浦安KS_渡波RO」の支援もあり、行かないではいられません。
また、毎年10月~12月チャリティーコンサートを開いてくださる成田のボランティアの方々の思いにも支えられています。
演奏会で集まりました募金をお届けし、現地の皆さんの喜んだ笑顔を次の演奏会で報告せねばなりません。
私たちは、平均70歳を超えましたが、現地の方々と交流すると活力や勇気が湧いてきます。
とは言え、ボランティアの方々の負担もあり、4年目の2014年で一区切りつけようかとの空気も出てきました。
しかし・・・
5年目(2015.7月)
現地の方々、関係される方々の熱い思いはたゆむことなく、今年も歌いに参りました。
訪問の記録を我らが名ソリスト工藤さんがエッセイに書きとめてくれました。次をクリック、ご覧ください。
映像記録は次をご覧ください。
写真集(1) http://www.walla.co.il
動画集(2) ①http://www.walla.co.il
この4年間、多くの出会いがありました。その中でボランティア同士のカップルが誕生、おめでとうございます。
今年は、1歳のお子様連れで駆けつけてくださいました。
6年目(2016.9月)
当初例年の7月で計画していたのが、参議院選挙と重なり9月になりました。
雨が続いたので心配した天候は晴れ男のお蔭で傘要らずの旅となりました。
3か所で歌い、多くの方に喜んで頂けました。皆さんの大きな歌声を聞き、明るい顔を拝見していると
私たちの方が元気とエネルギーを頂いた感じがしました。
渡波にあるNさんのゲストハウスに今年もお世話になり、野外のBBQも盛り上がりました。
次の写真集から様子をご覧ください。http://www.walla.co.il
訪問の記録を今年も工藤さんがエッセイにまとめてくれましたので、次からご覧ください。
7年目
10月初の訪問を計画し現地と調整しましたが、大規模防災訓練のために復興祭が開催できず、別な
候補日は選挙投票と重なり都合が合わず残念ながら中止となりました。
6回続いた石巻の皆さんとの心が籠った交流でしたが、一旦幕を引きます。
震災の年に初めて訪問した際には、被害の惨状を見て歌ってよいのだろうかと逡巡しながら歌い始める
と多くの皆さんがとても喜んでくださいました。ああ、来て良かったと歌の力を思い知ったのも嬉しく
心に染みる思い出となりました。
お会いした方々の顔が浮かびます。お元気に前向きに進まれることを祈り続けます。お世話くださった
方々に改めて感謝いたします。ありがとうございました。そして、またお会いできる日があることを
待ちましょう。
⇐ ご当地ソング「斎太郎節(さいたらぶし)」が大うけでした。
石巻黄金浜会館にて
(天井近くまで津波の跡がありました。)
石巻訪問記録
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